オンラインスーパーマーケットdelibali 高阪知之『アフリカ編:ナショナルチームの指導でウガンダへ。着いた先はチームもなければ言葉も通じない場所だった』インタビュー②
コロナ禍になり新しい試みでオンラインスーパーマーケットを始めた高阪さんですが、
彼は過去にアフリカに青年海外協力隊としてウガンダに滞在したことがあり、人生に大きな影響を与えたアフリカについてのお話を伺いました。
先日公開しました「オンラインスーパーマーケットdelibali 高阪知之『コロナでビジネスが窮地に。その時に生まれたのがdelibali』インタビュー①」の続きになります。
(第一話はこちらから →https://www.bali-allure.com/posts/23261396)
前回のあらすじ:
食品卸をしていたが、コロナ禍で多数のホテル・レストランが営業停止になり売り上げが激減。従業員を抱える中、個人のお客様に喜んでもらえるサービスをと考え出したのがオンラインスーパーdelibaliだった。
そして話は過去に青年海外協力隊としてアフリカのウガンダにいた頃の話に。
「野球のナショナルチームの指導と、野球を通じての人間形成をして欲しい」という要請でウガンダに行ったはいいが、着いてみたらチームもなく人もいない。ボコボコの陸上競技場で一人待っていたら高校生が3人集まってきたので、なんとその子たちとナショナルチームを結成することに。
(インタビュアー・記事:ジュエリーデザイナー金子真也)
第5回 「バリ島に住む人インタビュー」:delibali(デリバリ)高阪知之 インタビュー②
チームもなく、人もいなかったボコボコのグラウンド。そこに集まってきた3人の高校生から始まったナショナルチーム。
マヤ:そのパラパラ集まってきた3人の高校生がナショナルチームになるの?
高阪:そういうスタートであれ?ってなるじゃないですか?え、3人か、みたいな。
マヤ:その3人は野球はやったことあるって言ったけどほんとにできたの?っていうかそれは野球だったの?
高阪:その子たちの野球は一応野球になってました。でも日本のレベルで言うと小学生の強い子たちに負けるレベルで、高校生くらいの年齢って感じです。
そこで3人から始まっていくんですけどグランドでやってると通りがかりの子たちが色々集まってくるんです。
「外人いるーーーー!なんかやってるーーーー!!」って。
ずーっと見てる子いるんで「一緒にやるか?」ってそれでどんどん人が増えて行きました。
それで世代を小学生、中高校生で分けて、チームも2つ作っていって。
でもチーム内で練習しててもつまんなくなるんですね。やっぱ試合したいじゃないですか。
で、試合するために1時間半くらい離れたところに野球やってるところがあったんで試合したりして。高校生くらいの上の子達は、その時点でもう国で一番強い子たちになっちゃって。だって野球やってるのウガンダでその子達くらいなんで。
そうなるとモチベーションが続かないですよね。上がないし、目標がないから。
だからナショナルチーム作って他の国の代表選手たちと試合したりしたらもっと盛り上がるなぁってなってナショナルチームになっていったんです。
マヤ:面白いよね、スケールが面白い。だってさ、小学生に負けるくらいの子達だったのにいきなりウガンダで一番じゃん。で、ちょっと世界相手にしないときついな、になるじゃん。
高阪:そうそうそう。でも他の国に比べたら全然弱いけど、その自分達のレベルを知ることができないんですよ、国で一番なんで。敵がいないんです。
マヤ:それすごいね
高坂:だから僕ウガンダで一番か2番に野球が上手かったです。
マヤ:そうだよね、すごい。
高坂:でもナショナルチームを作るときに自分のチームだけ集めてナショナルチームつくるって変だから、だから田舎の方まで回って選手を探してみました。国全土ある程度回ってその中から集めました、だったらナショナルチームらしいじゃないですか?
なのでいろんな学校の体育の先生に連絡をして、野球ってものを紹介したりしました。それで上手い子達を首都のカンパラに呼んで合同合宿をさせてその中で本当に上手な子を選んでナショナルチームを作ります、っていうふうにして選手を探しにいったんです。
そしたら国境間際の3kmのところに行ったら、そこにすごい子たちがいたんですよ!!!
マヤ:何それ?なんでそんなとこにいるの?
高阪:そこには指導者とかもいなくって。でもずっと昔にアメリカ人が来て野球を教えたことがあったみたいなんです!他に遊びもないからそれだけでずーっと遊んでた子達で。
そしたらその中に上手い子が現れて。一人僕と同じくらい投げれたんです!一人!
マヤ:何それ!漫画みたい!
高阪:投げ方とか日本人から見たらめちゃくちゃで。走るのがとんでもなく速いやつとかもいて。そういう子達を合同合宿に呼んで、いろんなトレーニング方法も教えてその子たちが持って帰って地元でまた練習したら国のレベルも上がるだろうな、って。
交通費出して、ご飯代出して、とかで。協会も教会でお金がなかったりするから、
遠征の費用は協会が出すか、僕が出すか。
マヤ:個人で??
高阪:安いんですけどね、でもめちゃめちゃ出してました。
マヤ:でも出したくもなるんだろうね。
高阪:遠征に行くときハイエースの改造車に20人くらい詰め込んで、車のレンタルもご飯も自分で。で、ある時気がついたんです。お金自分が出してるから今は継続できてるけど僕は2年っていう期限がある、じゃあこれ絶対なくなると思って。僕が終わったらこれなくなるー!って。
でもこの子達結構本気で頑張ってくれてるからやっぱ続けさせてあげたいし、でも絶対お金のところで引っかかる。じゃあどうしようって思ったときにビジネスも一緒に教えようと思ったんです。
そのとき一番上の子が大学1年生、下は小学生とか。この子達にできるビジネスはなんだろう、って考えたら「養鶏」だったんです。家でみんな鳥飼ってるんで養鶏だったらみんな世話できると思って。
あとはどうやって餌代をキープするとか全部使っちゃわないかとか。育った鶏をどこに売るかとか探して流れを作ったらできると思って。
鶏小屋建てて、最初ひよこ100匹用意して、全部4万円くらいでできました。
鳥の世話した人が売り上げからこのお金もらっていいです、学費か野球にしか使っちゃダメです、っていうルールで何回世話したからいくら、ってのをその子たちにさせたんです。
で、そういうのを残して帰国になったんですけど。
マヤ:素晴らしいことしてきたね。
高阪:いえいえ、そうじゃないとほんと残りませんでしたね。
マヤ:それで残ったんだ。
高阪:はい。しばらく連絡来てましたよ。「鶏元気だよ、コーチ」とか。
マヤ:可愛いね。
高阪:今でも連絡つながってて。今では彼らもスマホとか持ち始めてるから動画送ってきて「このピッチャーどうやったら球速くなると思いますか」とか。その頃選手だった子達がコーチになってるんですね、今。教えてあげると「わかった、コーチー!」って。そういうのが今も続いてますね。
マヤ:その子たちの生活も環境も全部つくってきたんだね。
高阪:どうですかね、もう養鶏とかは無くなってると思うんですけど。なんか日本人言ってたなとか覚えてる子たちはいっぱいいてなんか連絡来ますね。それはやっぱ嬉しいですね。
なんかアフリカなんでグジャグジャでしたけど結構面白かった。
(2021年11月2日撮影 by Hisa Nojima)
こちらインタビュー記事は後日更新の第3部、
全く思い描いていたものと違ったアフリカの風景の中で高阪さんは一体どのような日々を過ごしたのか、楽しい体験記へとへと続きます!
そして第3部の記事を待ちきれないあなたに。こちら動画でインタビュー全編をご覧いただけます。ぜひお楽しみください。
インタビュー動画全編はこちらから↓
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ライター
ジュエリーデザイナー
マヤ
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