オンラインスーパーマーケットdelibali 高阪知之『青年海外協力隊でウガンダへ。教える側で行ったつもりが学ばされる物の大きすぎた2年』インタビュー③
コロナ禍になりオンラインスーパーマーケットを始めた高阪さん。
過去にアフリカに青年海外協力隊としてウガンダに滞在した経験について伺っています。
先日公開しましたインタビューの続きになります。
第一話 →https://www.bali-allure.com/posts/23261396
第二話 →https://www.bali-allure.com/posts/23458327
あらすじ:
食品卸をしていたが、コロナ禍で多数のホテル・レストランが営業停止になり売り上げが激減。従業員を抱える中、個人のお客様に喜んでもらえるサービスをと考え出したのがオンラインスーパーdelibaliだった。
そして話は過去に青年海外協力隊としてアフリカのウガンダにいた頃の話に。
「野球のナショナルチームの指導と、野球を通じての人間形成をして欲しい」という要請でウガンダに行ったはいいが、着いてみたらチームもなく人もいない。ボコボコの陸上競技場で一人待っていたら高校生が数人集まってきたのでその子たちとチームを結成。そしてどんどん人も集まり、名実共にナショナルチームとなっていく。
(インタビュアー・記事:ジュエリーデザイナー金子真也)
(撮影:NICONICO STUDIO 野嶋姫佐)
第5回 「バリ島に住む人インタビュー」:delibali(デリバリ)高阪知之 インタビュー③
ウガンダである少年から受けた衝撃。大変な環境で野球をする子供達から学ばされるさまざまなこと。
高阪:なんか野球約20年やってて、彼らに気づかされたって衝撃が一個があって。僕はなんかその、ウガンダに行ったばかりの頃に日本式を使ってしまってみんながついてきてくれないこともあって。ウガンダで彼らにとって一番身近なスポーツってサッカーなんですね。で、サッカーに比べて野球なんて知名度がない。でも野球に一生懸命になってくれる子がいて。
その子がね、言ったんです。「サッカーとかドリブルがうまくてパーっと走ってゴールを決めちゃう子がいる。でも僕は走るのも早くないし、サッカーも上手くないからいつもディフェンスとか後ろの方にいる。水泳も泳げないし、足が遅いからあんまりスポーツできない。でも野球ってバッターボックスで必ず努力したことを発揮できるチャンスがもらえるスポーツだから、だから僕頑張って野球する」って言ったんですよ。
マヤ:そっか、絶対主役になれるんだ。
高阪:そう、「チームが負けてても足が遅くても、バッターボックスで一回ホームラン打ったらヒーローになれるから、だから僕野球やる」って言った子がいたんです。僕そんな見方野球に対してしてなかったんですよ。そこからスタートした感じです。その子頭よかったんですね。プライベートダメでしたけどね。
マヤ:何それ?
高阪:高校生ですけど昼間から酔っ払ってきてましたからね。多分家庭環境が複雑で。
マヤ:そう思うとさ、そう言うことが結構普通にあるんだよね?私たち日本人の知らないようなことが、いろんなことが起こるんでしょ、きっと。
高阪:例えば練習9時からね、って言ったら日本人だったら9時前に来て、準備してアップして、ってなってるんです。でもアフリカにそれを持ち込んだら誰も来なくて。なんで来ないんだ、って言ったらそもそも時計ないっていう。
マヤ:そもそも時計すらないんだ
高阪:でも時計で時間知ってても、自分の弟とかにご飯食べさせるために朝バナナをザルに乗っけて町中歩いて売って、それが無くなったらやっと練習来れる子とかも結構いて。そんなこと練習前にしてるんだ、って思ったら野球教えるよりそっちの方が大事だなって。
来れるだけこの子達立派なんだって思って。色々僕も考え方だいぶ変わっていったんです。面白かった。
マヤ:高阪さんがすごいと思うわ。
高阪:いえいえいえ。やっぱ教えたいって思いで行ってましたけどやっぱ教わることかなり多かったです。行ったからにはみたいなのもずっとあって。何がなんでも彼らにでも自分にでも何かを残したいって思いはあったから。必ずこうやって教えたい、ってのは僕にはなかったのでいろんな方法を試しながら彼らにあった方法を探しながらやってました。
マヤ:だって人によってはさ、でこぼこのグランドに放たれた時点で帰りたくなる人いっぱいいると思うんだけど。そういうこともあるでしょ?
高阪:いやいや、ありますよ。だってナショナルチームの指導で行ってるんですよ?そもそもチームすらないから嘘じゃーん、って思いながら。
マヤ:そう。ほんとよね。怯むよね。
高阪:もう全部プラン無くなって。でも来たからにはって思いがあったから。どうやったら彼らに伝わるのかな、ってグジャグジャと色々やってました。
マヤ:・・・何でそんなに優しいの?
高阪:どっちかって言ったら自己満だし、僕のエゴですよ。教えたい!ってだけですもん。
マヤ:なんかさ、そこを自分のエゴって思える人って少なくてさ。結局人に対していいことをしていたって全部自分のためではあるじゃん。自分がやりたいから満足できるからやってて。でもそれをそう言える人ってすごく少ないと思ってて。やってやったのに、ってなる人は多いよ。でもそう言う気持ちこれっぽっちもない。
(2010年6月撮影 ウガンダでの高阪さん)
高阪:そうすね。だって、その子たちに野球教えてて・・・日本だったら野球をやったら高校とか大学への推薦とかあるわけですよ。
でも彼らにはそういうのがなくって。野球やっても別に食べていけないしって。それ言われちゃったらって感じだったんですよ。でも来たからには教えたいし、分かってくれたら彼らの人生も少しづつ変わるだろう、って思ってたから。単純に僕がダメで、なにも知らなかったんで。だから家庭訪問とかもしましたね。どんな家に住んでるのかとか、どんな生活をしているのか、とか。
マヤ:理解しないと違いすぎてやれないもんね。
高阪:そう、それでずっと家庭を歩いて、こう言う状況だからこうなるんだな、っていうのが生活を見るとわかってくるじゃないですか。ちょっとづつ。すっごい家とか住んでますよ。日本人からしたら家と思えないような家に住んでますし、この狭さにこの人数住んでるのか、ってのもありますし。それで野球もやろうってあんなにグラウンドでは楽しそうにこの人たち頑張ってるんだって思ったら、色々思うところは多かったですね。
マヤ:高阪さんはそういう経験を何歳くらいからやってるの?海外行って異文化に打ちのめされたりとか。
高阪:でも一番大きいのは銀行員をやめてそのアフリカに行ったことですね。
マヤ:そっか銀行員だったんだ。
高阪:そうです、その銀行も野球をやってたからいけたんですけどね。学生の時はそんなに海外に興味があったわけでもないです。英語もできなくて、でも日本にしかいないしって開き直って勉強をしない生徒でした。
マヤ:アフリカは何語でどうしたの?
高阪:ウガンダのガンダ語っていうローカルの言葉を使って
マヤ:え?行くための覚えていったの??
高阪:いえいえ、wikipediaにはイギリスの植民地だったから公用語は英語って書いてあったんです。でも言ってみたら英語喋れる人ほとんどいなかったんです。公用語嘘だったんですよ。でもガンダ語は辞書もないから。そもそも日本でも勉強しなかったからガンダ語勉強の仕方なんてわからないし。
公用語が英語のはずが、英語を話せる人はほんのわずか。「チノチチ」から始まった身一つでのガンダ語習得への道。
高阪:その時は外国人パワーを使って。カフェとかにいると「外国人だ!」って子供たちが集まってくるんです。その子たちといつも遊んでたりしてたんですけどある時僕のノートを覗いてきたんです。そのときに指差しながら何かを言っていて。バナナの絵を描いたら「マトケ!」って言って車の絵を描いたら「モトカ!」って言ってて。
こいつらもしかしてこの名前言ってる!!って思って。
マヤ:うわ!すっごいて手探り!!
高阪:それがクイズ的な流れになったときにすっごい訳の分からない絵を描いて見せたんです。そしたら男の子が不思議そうな顔で「チノチチ??」って聞いてきたんです。これは「これなーに?」だ!ってとこで。翌日に市場でトマトを指差したり、ナスを指差したりして「チノチチ」を連呼しまくったらおばちゃんが全部教えてくれたんです。これは魔法のワードだって。全部「チノチチ」で学びました。
マヤ:なんか未開の地に漂流した人みたい。
高阪:それに近いかもしれないですね。
マヤ:そう言うときはそうやって生き残るんだ。
高阪:そうやって生き残りました、僕は。ちょっとこれは面白かったですね。
マヤ:なんかさ、そんな経験してたら普段の生活ってどんなふうに感じるんだろう。
高阪:普通ですよ、みんなと一緒です。
マヤ:いや、なんかもっと色々してみたくなったりしない?すごいさ、体のできる限りの五感と、使ったことない全ての感覚を使って生きてきたわけじゃん。
高阪:そうですね。アフリカの2年間はすごくこかったです。
マヤ:そんなことしちゃったら刺激欲しくなりそう。そんなことない?
高阪:いや、どうでしょう。でもやっぱチャレンジの楽しさをそこで知りましたね。
マヤ:チャレンジしないってつまらなくなるよね。
高阪:あと、物欲とかなくなりました。サラリーマン時代はあったんですけど。スーツ欲しいとか、ああいう革靴いいなとか。今は別にそんなに思わないですね。
マヤ:かっこいいね。
高阪:いえいえいえ、アフリカのせいですよ(笑)バリは大変でしょ、とかよく言われますけどバリめっちゃいい。だってお金出せばなんでもありますもん。超便利です。辞書もあるし(笑)人も優しいし。アフリカでそんだけ今までと違う経験を積んだから、じゃあバリですんなり行ったかっていったら全然ダメでしたけど。
マヤ:ぜんぜん??
高阪:全然。まあ最初レストランのマネージャーで4年働いたときはまあよかったですけど。
でもその後自分でやるようになってからはとんでもなかったです。
マヤ:あはは、なんかいろんなことあるよね、この島。いい修行してくれるよね、
高阪:うん、笑ってしまいますよね。
マヤ:お疲れ様です。
高阪:いやいや、僕が甘かったんです。今もまだまだぜんぜん甘いですけど何かあってもスタッフが「トモだから仕方ないね」って僕より大人で色々やってくれてます。
マヤ:これからデリバリがインドネシア人にもどんどん広がるといいね。
高阪:まだまだ言えないやりたいことがあります!アプリのその先!本当にできるかわからないですけど色々考えてて。本当にやっていきたいです。
マヤ:アプリのその先!?
高阪;はい。
マヤ:いいね!楽しみにしてます!!
(撮影:NICONICO STUDIO 野嶋姫佐)
編集後記
今回のデリバリ高阪さんのインタビューはこれで終了となります。
高阪さんは私から見て、これまでどれだけでも誇って良いようなすごいことをしてきているのに謙虚で全く奢らない人。今回、こんなに素敵なお話をお伺いできて私にとっても貴重な経験となりましたし、皆様にとってもそうであったら嬉しいです。
こんな素敵な人の作っていくdelibaliが、どんどん大きくなっていったら良いなぁと思います。皆さんもどうか一緒に応援してください😊
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ライター
ジュエリーデザイナー
マヤ
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